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トラック大好き!!栗山自動車のスタッフブログ


何から書いて良いんだか?まだ気持ちの整理も出来ていないんですけど…..

ご無沙汰致しております。販売課 小佐田です。
このゴールデンウイーク、生まれてこのかた約40年間、何の役にも何のためにもなって無かった私、
大学時代の同級生が先の大震災で被災をしてしまった為、気仙沼までお手伝いに行ってきました。
もちろん貧弱非力なこの私が自衛隊の方々の様に活躍できるはずも無く、
出来る事と言えば、未だ行方不明のままの友人の叔母様を捜索するお手伝いだけしか出来なかったんですが。

巷ニュースでは復興の兆しが見えて来ただの、やれ芸能人が炊き出しのボランティアで云々等々、まるでもうどうにか立ち直ってるかのごとくの報道がなされていますが、そんなのねぇ、嘘っぱちです。
本当に悲惨で酷い場所には未だ報道関係者等部外者は立ち入りが許可されておらず、かの報道の方々はと言えば町のとば口、幸いにして被害がそれ程でも無い(こんな表現もちょっと失礼ですが、お許しください)場所に陣取って、やれライフラインが復旧しただの、商店の営業が再開しただのと垂れ流しておりますが、それこそ町の一部分。
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他大多数の甚大な被害をこおむった方、地域の凄惨さは筆舌にしがたい状況です。
気仙沼は水産の町ですので、沿岸部、加工会社等が有ったであろう地域は腐臭と、汚水の臭いで、ゴーグルが無いと、臭気で涙が出て来てしまうほど。街並みも皆さんがご覧になっているであろう画像は、かろうじて建物が残っている場所ですが、それより更に踏み入った場所では、建物はおろか、地面が吹き飛ばされて無い状態。そう、表現として
『津波で流されて』
と言われておりますが、実際には流されて等と言った程度の物では無く、まさしく『吹き飛ばされた』状態。

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自衛官の方が仰るには、

「まだ御遺体も沢山出て来るし、金庫等の財産物も出て来るから、一般のボランティアさん等にはご遠慮してもらってるんだ。ほら、言いたくないけど、それに紛れて金品を盗んで行くろくでもないヤツとかもいるから….」と。考えられない事ですが、私の友人が言うには
「物凄く治安が悪くなっている」との事で、幸いにして彼女の実家は建物が無事な地区に有りましたので、不自由はあっても避難所の方に比べれば天国の様な状態。なのに、
「家を空ける事が出来ない」と言い、理由としては留守にした瞬間に泥棒が入るのだそうです。近所は軒並みそういった被害にあっているのでそんな事もあって、年配のお母様は留守番に、私と彼女が捜索に出向く事としたのです。女性一人でそれら悲惨な地域に立入ると、ヤケを起こした輩や、立ち入り禁止ラインをすり抜けて入り込んだ犯罪者がうろうろしていて、別の危険も有るわけで、そんなこんなの相談から出向いた訳だったのですが、現地に行って、『おそらくここらへんが家の有った場所』の辺りを探そうにも、いったい何から、どうやって、どうすればよいのか、何も思いがめぐらせられない、ただただ茫然としてしまう光景が一面に繰り広げられていて、神様なんていない、世の中に平等なんて言葉は無いよ等と虚無感に苛まれてしまいました。
メーテルリンクの青い鳥は、最後の最後ににかごの中に希望を見つけた話でしたが、この東北一帯に希望は残っているんだろうかなどとすら思ってしまいました。

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そんな救いの無い思いに駆られた私に、地元の漁師のお爺さんが、
「母ちゃんか誰か探してるのかい?」と。新類では無く、友人のご家族を探しているのだと伝えると、
「わざわざ来てくれてありがとうな」と。なにもお爺さんの手伝いをしている訳では無いのにお礼を言って頂いちゃって…..煙草を吸いたかった私が、吸う場所を探していると、
「あっちさ行けば安心して吸える場所があるよ。連れてってやるから、一本くれるかい?」と。辺りには重油やらなにやら可燃性の物もぶちまけられているので、基本は禁煙地帯な為、これは嬉しい申し出と一緒に乾いた地面の所まで移動をして。

「あそこのでっかい船あるだろ?」
「はいはい。あんな巨大な物もこんな所まで来ちゃってるんですねっ!!」
「あれも油が入ったままだから、抜くまでは解体も出来ないんだってよ。まったく何時になったら片付いて、海に出られる事やら…..」と。
私は海にこんな目にあわされた訳だから、正直驚いてしまって、
「もう海見るのも嫌になったりしないんですか?」と思わず聞いてしまいました。すると、
「なんもなんも、おれらはもう何十年も海からいろんな物を貰って来たんだ。家も飯も、おっ母ぁだって海から貰った様なもんだ。だものずっと貰う一方だったから、たまには海が返せって言って来たんだろう」と。
家も何も、魚を取って、お金に代えて買った来たのだからって事を言ってるんでしょうが、たまには返さなきゃならないなって考えに至れるんでしょうか。正直に感銘を受けてしまった言葉でした。ただ、最後に
「家も飯も、船さえ手にはいりゃ、また海から返してもらえるけどよ、おっ母ぁだけは、返して貰え無ぇだろうな」ってつぶやきを聞いた時には涙が止まらなくなってしまいました。

皆さん東北はまだまだ大変な状況です。一人一人が出来る事って、確かに小さいものでしかないのでしょうが、みんなで何が出来るのか、どうすれば一日でも早く被害に遭われた方が笑える日が来るのか、またあのおじいさんが海に出られるようになるのか、考えて協力をし行動をしていきましょう。

来週からは部品課の金田、菅野両名が代表の栗山引率の下、現地にて車両撤去のボランティアに参加します。
若手の彼らには必死に頑張って活躍をしてもらい、笑える日が来る事を一分、一秒でも早めてくれればとの期待を胸に送り出したいと思っています。